2017年4月5日水曜日

理解してほしい人は、理解だけを求めているのではない

「理解してほしい」と言う人がよくいる。そして人から理解されないと悩む。私は人から理解されたいとはあまり感じないのだ。世の中の人はみんな違っている。違っているのだから、自分と違う人を理解できないのは当然だ。違っていても同じような体験をしたり同じような考え方をして、共感を得るということはある。

「理解してほしい」と人に願う人は、本当は「理解」だけが欲しいのではない。理解して更に自分の願いを叶えて欲しいのだ。

子供がおもちゃを欲しそうにしている。親は「そうなの、おもちゃが欲しいのね。あなたの気持ちは解ったわ」と言う。それが理解だ。

しかし、子供は理解されるだけでは満足しない。本当に理解されるというのは、おもちゃを買って欲しい気持ちを解ってもらうだけではなく、買ってもらうことまでを含んでいるのだ。買ってもらえて初めて「理解された」と感じるのである。

それなら初めから「買ってほしい」と言えばいいのだ。私は人に理解されたいとは思わず、人に私の願いを叶えて欲しいとは思うことがある。願いを叶えてもらえなかったら、それは「理解されなかった」のではなく「願いを叶えてもらえなかった」のである。

私の娘は「ママは私のことを解ってくれない」と言う。ところがこうだ。

娘が色々と必要な物があって生活費が足りなそうにしている。「じゃ、カンパするね」と私がお金をいくらか渡そうとすると、

「いい、大丈夫だから」

と娘は言う。大丈夫ならよかった、と私は安心する。

すると娘がしばらくして

「やっぱりくれなかった」

と言うのである。だって、私がカンパすると言ったら、娘は「いい」と断ったのだ。それなのに、やっぱりくれなかった、とはどういう意味だろう。

娘はこういうことを期待していたのだ。私が「カンパをする」と言う。娘が「いい、大丈夫だから」と断る。そうしたら私は

「遠慮しなくてもいいのよ」

と再度娘に言う。娘は

「本当にいいから」

と再度断る。私はまた

「ママは今お金に余裕があるのよ。だからあなたにカンパしたいの。もらってほしいんだ」

と娘に言う。

「それならもらうわ。ありがとう」

と娘はカンパのお金を受け取る。こうなって初めて娘は「理解してもらえた」と感じるのだ。

それなら最初からすぐに「わーい」と言ってカンパを受け取ればいいものを、何故かそうしない。

「人から理解されない」と嘆いている人は、自らわざわざ理解されにくくしているのだ。そして周りの人にその心情を魔法使いのように読み取ってもらって、魔法使いのように叶えて欲しいと思っている。

「理解してほしい」とか「誰も理解してくれない」と言う人の言葉を、そのまま受け取ってはいけない。本当は単純に理解してほしいだけではない。その先のことを叶えてもらうことまでを含んで、理解してほしいと願っている。それが彼らの言う「理解」である。

「誰も理解してくれない」というのは「誰も願いを叶えてくれない」というのと同義語だ。誰かを理解してあげようとすることは、その人の願いを叶えてあげる責任まで含んでいるのだ。

自分を理解してくれる人というのは、自分の願いを叶えてくれる人、と期待されることなのである。