2017年4月21日金曜日

自由とは不幸から解放されること

人間には不幸に耐える力が必要だ。人間は誰でも不幸や悩みや問題を抱えて生きている。何も悩みがない人は滅多にいないだろう。そうすると、必然的に不幸に耐える力が必要になってくる。

どこで読んだか忘れたが、自由とはやりたいことをやれることではないそうだ。本当の自由とは、やりたくないことをやらないで済むことなんだって。

身体の痛みが消えた時には、とても幸福に感じる。嫌な人がいなくなった時には、とっても清々とする。それまで思い煩っていた問題が解決した時には、私たちは途轍もない解放感と幸福を感じるだろう。ただ、嫌なことがなくなったというだけで、人間はとても幸せを感じるのである。

私は人間の成長とは、何かを成し遂げたり、立派なことが出来ることではないと思う。不快なことを受け入れ、不幸を耐える力こそが大切なのだ。誰の人生にとっても、不愉快なことは付き物だ。それに対処できる力を持つ人が、何よりも強いのではないかと思う。

素晴らしい人生を送っていた人が、ちょっとした躓きで転んでしまう。一方、恵まれない人生にも根気よく歯を食いしばる人もいる。

華やかに咲いて散っていく花より、踏みつけられても淡々と生きる雑草の方が、結局は生き残るのではないか。人間に必要な生きる力とは、雑草のようなゴキブリのような渋とさなのだ。

どんなに大事件が起ころうとも、どんなに世間が騒ごうと、嵐の中の船に乗りながらも、ひとりだけ泰然自若としていたい。台風の目のように、私の心は晴れ晴れと、いつも穏やかに過ごしたい。どんな時にも心の平安を保っていられる力こそ、人間の成長と呼ぶのではないかと思う。

しかし、そのような平穏な心を保つには、何かの助けが必要である。それはリアルの知り合いかもしれないし、家族かもしれないし、信仰を持っている人は神様かもしれない。私にとっては、死んだペットの犬である。彼こそが私の親友で、唯一の信頼できる味方なのである。

世の中の嵐が吹き荒れてうんざりする時には、犬の名を呼ぶ。「嫌になっちゃうねぇ」と。

すると、私の心の中の犬は、私を見つめ返して笑っている。

犬が私の心の涙を舐めてくれるから、私は涙を流さないで済むのである。そして私の心はいつも穏やかだ。ひとりではないから。

何も素晴らしいことがなくても良いのだ。ただ不幸がなければいい。何も大喜びしなくてもいいのだ。ただ穏やかでいられればいい。

その為に必要なのは、不幸に耐える力と心を穏やかに保つ力だ。

嫌なことがないだけ。不幸から解放されるだけ。それが真の幸福なのではないかと思う。そして思い煩っていたことから解放されて自由になった時には、ひしひしと喜びが湧きあがってくる。その喜びを、友と味わう。やっと夜が明けたね、と。

さぁ、夜明けを楽しもう。