2017年4月20日木曜日

幸せになる為に、何を選ぶかが問題だ

人の心境は2種類しかないと思う。不満か満足しているか。人は不満の波動か満足の波動のどちらかを、いつも発しているのだ。

不満の波動とは、文句や愚痴だけではない。不満の波動は「願い」に姿を変えやすい。人は何かを願うことを悪いことだとは思っていない。「ああなればいいな」「ぜひこうなってほしい」と、毎日気軽にあるいは真剣に何かを願う。でもそれは裏返せば、現状に不満があるということなのだ。

だから、願いの波動というのは、結局は不満の波動だということである。

一方、満足の波動は「感謝」に姿を変えやすい。感謝をしている時には不満を感じていないということだ。もしも願うとしたら、この状況がいつまでも続くようにと願う。しかし、そこには何の不満も感じられない。もう既に満ち足りているから。

本当は満足できるような状況でも、人はなかなか満足しない。誰かと比べて自分の方が劣っていると思えば、もっともっとと多くを望む。不満は比較によって生じやすい。

人は今、自分に与えられているものだけで、本当は満足するべきである。与えられているものを数え上げて感謝をすれば、自分が今、どれほど幸せなのかに気付くだろう。

あるいは、今持っているものを失えば、今までどれほど恵まれているかに気付く。しかし、そうなってから感謝しても遅い。失ってからでは、ますます不満が募り感謝を抱きにくくなるだろう。

もしも現状に満足できないのなら、自分の力で改善することは大いに結構なことだ。しかし、他人を利用したり、他人から奪って現状を改善しようとしてはならない。

もしも他人の力を借りるなら、正当な取引で他人の力を借りるのは良いことである。不当な取引で他人の力を借りることは、他人から奪うことになる。

自分の力や、他人の力を正当な取引で借りても、ものごとは改善しないこともある。どうしようもないこともあるものだ。

そのような状況に満足できくなても仕方がない。不快な状況に満足など出来る訳がない。そんな時は、ただひたすら我慢するしかないのだ。そして、何かの力で物事が改善するように願う。そんな時の波動は不満の波動が出ていることだろう。

しかし、何かを我慢している時、自分が損をし犠牲を強いられている時ですら、本当はちっとも損などしていないのである。それは誰かに「貸し」を作っているということだから。「貸し」はいつか必ず返してもらえる。貸しっ放しで損をするということはない。

そう信じれば心は穏やかだ。貸しているだけなのだから。返してもらうのが遅れれば、利息が付いて返してもらえるかもしれない。本人が返す気がなくても、自然の法則がそのように働くのだ。それは「因果応報」とか「カルマ」と呼ばれる。

結局、人は正しく生きるのが一番得である。正しく生きるとはどういうことだろう。

この世に絶対的な善悪はない。善悪の基準は時代や環境や立場によって変わる。自分から見たら善でも、相手から見たら悪であることもある。

しかし、人には良心というものがある。良心に背くと必ず心が痛むようになっている。普通はそうだと思うが、中にはちっとも良心が痛まない人もいるのかもしれない。いるようにも見えるけど、見えないだけで本当はやましさを感じているのかもしれない。

人は耳触りの良いことを聞きたがる。自分を大切にとか、ありのままでよいとか、頑張らなくてもいいとか。誰でも自分が一番大切で、自分を甘やかしたいのだ。

自分を大切にして自分を甘やかし、自分を他人の為に犠牲にしないこと。時にはそれもいい。

しかし、そうすることで誰かに借りを作っているとしたら、その借りを返す時は必ずやってくる。貸したものは必ず返してもらえるように、借りたものも必ず返さなくてはならないのだ。

人には甘く自分に厳しくしていれば、借りを作ることはない。良心に背くことをしなければ、罪悪感を持つ必要もなく、心はいつも晴れ晴れとしていられる。

自分の欲は少なく、与えられているもので満足して、感謝の波動を放つ。他人に出来るだけ多く与えれば、いつかどこからか自分にも与えられる。

しかし、欲深く他人のものまえで奪ったり、他人を犠牲にして自分だけが得をしても、それは他人に借りを作ることになり、借りは必ず清算させられる時がやってくるのだ。

人生は損をしっ放しや、得をしっ放しということはない。必ず清算の時が来て、帳尻が合うようになっている。多く得たければ多くを与え、借りは作らず貸しを多くしておけば、間違いはないだろう。

時には、多くを与えすぎている、自分が犠牲になり過ぎている、と感じることもある。そこまでして貸しを増やす必要もない。良心が痛まない範囲なら、相手に借りを作らないなら、自分を甘やかすことも良いことだと思う。与えすぎをやめればいいのだ。しかし、与えすぎでも必ず返ってくるから安心なのである。

もしも今の生活がそこそこ幸せなら、きっと貸し借りのバランスが取れているのだろう。幸せだということは、上手に生きられているということでもある。

いや、過去の結果の反映が遅れているだけかもしれない。神様はその人が反省して改める機会を待っている。その為に、結果を遅らせているのかもしれない。

常に多くを与え、借りを作らず貸しを作るようにする。同じものが自分に戻ってきても構わないと思うものだけを、周りにも与える。自分が与えたものがそのまま戻ってくる。

そして自分が発している波動というのも、何かの形で戻ってくるのではないかと思う。与えるのは言動だけではない。自分がどんな波動を発しているのかも、大切である。満足の波動には満足が、不満の波動には不満が返ってくるのかもよ。

正しく生きることが自分を守り、幸せになる道だ。私はそう信じている。

何を信じるかはそれぞれの自由だ。世の中には情報が氾濫している。しかし、何を信じるかによって、自分の人生が変わってくる。だから、何を選ぶのかが問題だ。選ぶ自由がある代わりに、選んだ責任も自分にある。