2017年4月11日火曜日

他人の期待に応える人と自分の喜びの為に生きる人

フィギュアスケートの浅田真央選手が、現役引退を発表した。目標も気力もなくなった、と。プロフィギュアスケーターの織田信成さんが、「本当によく頑張ってくれた」と泣きながら彼女を労った。

みんな真央ちゃんが大好きだ。頑張る人は美しい。頑張る人を応援したい。でも、浅田真央選手にとっては、「人の期待に応える人生」になっていたのではないだろうか。

最初は自分の為に頑張っていても、やがて人々から愛され応援されると、人々の期待に応えようとする。人を楽しませる為に頑張るようになる。すると、自分の楽しみは一体どこに行ってしまうのだろう。

自分の為に頑張る力は弱い。でも誰かの為に頑張る時、人は強くなる。世の母親が強いのは、子供の為に頑張るからだ。

誰かの為に頑張ることは美しいし、力強くもある。人々は自分の為に頑張ってくれる人を愛するし、感謝もする。

しかし、期待に応えるということは、応えられなかったら失望させてしまう、ということでもある。期待に応えるということは、期待に応えなければならないということであり、応えられなかったら人から失望されるリスクを背負っているのだ。

期待されるということは、それだけ自分が能力を持ち、人から愛されるということでもある。そして、人からも認められる価値ある自分が、自分でも大好きだ。大好きな自分でいたい。みんなにも大好きでいてほしい。みんなを喜ばせたい。

そうやっていると、いつの間にか自分の人生でなく、他人の為の人生を歩いていることに気が付く。頑張っている人の多くは、他人の期待に応えるために頑張っている。

私のこれからの生き方の理想とする、ターシャ・テューダーの本を読んでみた。彼女は世界中の女性の憧れであり、園芸家で絵本作家でもある。

彼女の生き方は誰かの為に頑張っている感じを受けない。「好きに生きればいいのよ」「楽しまないともったいない」と彼女は繰り返し言う。

彼女は自分の為に楽しんでいた。自分を喜ばせる為に頑張っていた。いや、好きでやっているのだから、頑張っているとも言えないだろう。やりたくなければやらなくてもいい。それでも誰も失望させたりしない。

彼女は今では有名になってしまったが、彼女の自称は「主婦」だ。彼女はただの一主婦でいたかった。

彼女の人生には苦労や悩みは感じない。実際にはあっただろうが、全てが自分の喜びになっていた。彼女は自分の喜びや楽しみの為に生きた人である。そこが多くの女性から支持されるのだろう。

浅田真央選手も、これからは人の期待に応えようなんて考えずに、ただ自分の喜びの為だけに生きていってほしいと思う。

私もそう生きたいと思う。しかし、私の周りには「俺の期待に応えよ」「私の願いを叶えて」と声高々に叫ぶ人たちがいる。もういい加減、人に期待を満たしてもらうのではなく、自分で自分の期待を満たせばいいのにね、大人なんだから。

頑張る人は気持ちがいい。頑張る人は自分の期待に応えてくれる。そして頑張る人の姿から、自分も頑張ろうと励まされる。

人間は誰かの為に頑張らなくてはならない時もあるだろう。子供の為に、家族の為に。自分を愛してくれる人の為に。

死んだ犬も、私を喜ばせる為に頑張ってくれた。私はそれがとても嬉しかった。だから私もいつまでも犬を愛している。でも、今度は犬と一緒にいることを楽しみたい。犬が頑張ったりしないでも、天国で幸せに生きている犬と共に楽しみたい。

死んだ犬も浅田選手も私も、今度は自分の楽しみの為の人生を歩いていけたらいいな、と思う。誰の期待に応えることもなく、誰からも失望されることもなく、ただ自分を喜ばせる為だけに生きたい。

世の女性がターシャ・テューダーの生き方に憧れるのも、家族に合せるだけの人生を、そろそろ卒業したいと思うからかもしれない。

自分の喜びや楽しみの為に生き、いつも幸せに満たされている人もまた、美しいものだ。

そうなれるまでには、私はもう少し頑張らなければならない。もしかしたら、私は頑張ることもまた好きなのかも?頑張ることはいつまでもやめられそうもない。