2017年4月1日土曜日

神様の秩序にまかせれば、すべてはうまくいく

本を読むのが好きな私は、AmazonのKindle unlimitedという電子書籍読み放題のサービスを愛用している。全ての本が対象になっている訳ではないが、市販の本も多数読み放題の対象になっており、とんでもなくお得なサービスなのだ。申し訳ないほどに、サービス料の月額980円の元が取れる。

昨日もとんでもなく良い本を見つけた。「とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく―宇宙の導きにまかせよう」(トーシャ・シルバー著 ナチュラルスピリット)という本である。

以前、本屋でこの本を見かけた記憶があるが、安っぽい表紙の安っぽいタイトルの安っぽいスピリチュアル本がまた新しく出た、という印象しかなかった。Kindle unlimitedで読み放題の対象になっているから、読んでもいいかと思って読み始めた次第だ。

ところが、これがとても重要なことが書いてある本だった。つまり、私たち人間は自分の願いを叶えようとしてはいけないのである。自分の願いは往々にして、自分勝手な自分だけに都合の良いものになりがちである。

私たち人間には、何が最良なのかが分からないのだ。だから、自分から見える範囲で自分の考えの中で願いを叶えたいと望む。しかし、何が最良なのかは神様だけがご存知である。

私たちは最良のものをご存知の神の意志に任せるべきなのだ。それを、この本では「神の秩序を呼びこむ」と言っている。

神は誰も犠牲にならずに全ての人にとって、すべてがうまくいく完璧な方法やタイミングを知っている。自分の意志ではなく神の意志が実現することを望めば、何もかもがうまくいく。それが神の秩序と調和の働きなのである。

この本のタイトルの「とんでもなく全開になれば」というのは、神様の意志に全てを任せれば、という意味である。

流行りの「引き寄せの法則」は、何でも自分の願いが叶えばいいという法則であって、著者の友人は冗談で、ある本のことを「(さらなるカルマへの)秘訣(ザ・シークレット)」と呼んでいるそうだ。自分勝手な願いが叶っても、それは新たなカルマを作るだけだと言うのだ。願いが叶っても作られたカルマはやがてそれに見合う悪いものを引き寄せて、帳尻を合わせようとするだろう。

著者は1940年代のニューヨークの思想家、フローレンス・スコヴェル・シンの思想を多く取り入れているようだ。

フローレンス・スコヴェル・シン曰く、

「個人的な意志で無理やり現実化したものは、つねに"不正取得"です。」

その例として、シンはある家を切望した女性のことを本に書いている。その家を得ることを強く望んだら、家の持ち主が突然の病で死んでしまったので、彼女の願いが叶った。そうしたら、彼女のパートナーも死んでしまった、というのだ。間違ったことを願った為に、報いを受けた。

その場合は、どの家と特定するのではなく、「私にとって正しい家を運んできてください」と神の秩序にまかせるべきだったそうだ。

私たちは、こうなれば幸せになれる、と自分の考えで何かに執着する。幸せを求めること自体は間違っていない。神は私たちに必要なものをくださる。しかし、何が本当に私たちにとって必要で最善なのかは、神様しか分からない。だから、特定の状況を望むのではなく、神様がくださるものに任せるべきなのだ。

祈る時は、

「私にとって完璧なものは既に用意されています。それが完璧な方法で完璧なタイミングでやってくることを信じます。私をそれを受け取る価値があり、それを感謝を持って受け取ります。」

というのが良いそうだ。あとは神様に任せて、神様がくださる最良のものを受け取るだけだ。

ちなみに私は、フローレンス・スコヴェル・シンの「人生を開く心の法則」(たま出版)という本を持っている。どこにあったかなぁと部屋の中を探すと、積んである本の一番上に乗っていた(笑)。これも神様の秩序の働きなのだろうか。この本も読み直してみようと思っている。

今のところ、私が学んだのはポジティブな言葉でいつも良い気分でいること、自分を犠牲にし過ぎない程度の利他行を心がけること、そしてこの本の「自分の意志ではなく神の秩序を呼びこむこと」である。

神様は私にとって完璧な人生をくださいます。それは完璧な方法で完璧なタイミングでやってきます。私はやってきた正しい人生を感謝を持って受け入れます。ありがとう、愛しています。

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